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【ポリアモリー】捨てられるのが怖くて、言えなかった言葉
きのコ
公開日|2022.10.02
更新日|2022.10.02
今回は恋人の1人 ユキと別れた話をしたいと思う。
きっかけは、ユキと私との共通の友人だった。
あるとき、私はその友人と言い争いになり、きつい言葉を投げかけられた。ショックを受けた私は、ユキに「あの人からこんなこと言われて、すごくつらい……」と愚痴をこぼしたのだ。私にしてみれば、恋人に慰めてほしい、という気持ちがあった。
ところが、ユキからの反応は私の想定とはまったく違うものだった。
「きのコさんが私の友達を悪く言うと、私もその人のことを嫌いになってしまう」「だから聞きたくない。甘えないで」
と冷たく激しい言葉が返ってきたのだ。
友人とのいざこざで落ち込んでいた私にとって、ユキの言葉は追い討ちをかけるものだった。
そうは言うものの、ユキ自身は私の好きな人たちについてたびたび愚痴を言うことがある。
私はもちろん好きな人たちのことを悪く言われて嬉しくはないけれど、ユキの不満に向き合うことの方が恋人としては大切だと考え、「それはつらかったね」と受け止めるように努めてきた。
しかし、逆に私がつらい思いをしたときにユキにこのような反応を返されたことで、私のなかには「私はこれまでユキをこんなに甘やかしてきたのに、ユキは私がつらい時に甘えさせてくれない……。つらい時に支え合えない『恋人』ってなに??」という不満が生まれ、それをユキに伝えられないままに積み重なっていった。
そんな気持ちが私のなかでわだかまっていたころ、ユキに別の恋人ができた。
今までもユキに恋人ができたり別れたりという状況は傍でよく目にしてきたし、それを気にも留めなかった私だったけど、なぜか今回は違っていた。
ユキが新しい恋人のノロケを口にするたびに、無性に寂しくなって、嫉妬心が湧き起こるのだ。
「私のことも大切にして」というひとことが言えないまま、寂しさはつのるばかり。
「もう終わりにしよう」と思ったのは、ユキと旅行に出かけたときだった。
旅のあいだも、ユキは新しい恋人の話ばかり。「もう、私のことなんてどうでもいいんだな……」と私は完全に打ちのめされた。
そして旅行からの帰り道、私はユキに別れを告げ、恋人関係を解消したのだった。
ユキと別れてから、私は自分の気持ちの揺れ動きをあらためて反芻してみた。
私にとって「恋人」って、あるいは「ユキ」ってどういう存在なんだろう……?
「恋人だからって、私をネガティブな感情のゴミ箱にしないで」……ユキが言いたかったのはそういうことなのだと思う。
しかし、私自身のなかには「恋人には、悲しくなった話や、腹が立った話も聞いてほしい。逆に悲しいときや腹が立ったときにはその話を聞かせてほしい」、そして「私はユキの愚痴を聞いてあげてるんだから、ユキにも愚痴を聞いてほしい」という気持ちがあったことに気付いた。
そして、嫉妬心のこと。
思えばユキに別の恋人ができたとき、私が感じたのは疎外感由来の嫉妬だったのだと思う。ユキがその人ばかり大切にして、私のことはどうでもよくなってしまったみたいで、寂しかった。そして、その寂しさをきちんと言葉にして伝えられていなかったと思う。
はっきり伝えることで、「そんなの無理。そんなこと言うなら別れる」と、ユキに捨てられるのが怖かったのだ。ユキはまったく私に歩み寄ってくれないのではないか、また冷たくあしらわれるのではないかと思うと、ユキに私の不満や嫉妬を打ち明けることができなかった。
私は結局、ユキとお互いつらい時に支えあいたかったんだと思う。「いつもカッコいいきのコさん」でいるのではなく、ときには甘えたり、愚痴や弱音も受け止めてほしかった。
私とは違った意味で行動力にあふれ、「こういうことやろうよ!」「あのイベント行かない?」などと、楽しいことをたくさん思いつくユキ。
私は「何かわくわくするような面白いことを一緒にやる」という関係が最高に楽しかったのに、恋人になったことで、却って「恋人だからこうしてあげなきゃ」「恋人だからこうしてほしい」という固定観念に囚われ、しかもそれをきちんとユキに伝えられないまま、我慢したり寂しくなってしまっていたような気がする。
「相手からの拒絶やパートナーシップの破綻が怖くて、パートナーに自分の気持ちを伝えられず、抑え込んでつらくなってしまう」
ポリアモリーを実践するうえで、これが最もうまくいかないメンタリティであることは分かっていたはず。
でも、私自身もまだまだ「恋人ってこういうもの」という既成概念や、「恋人に捨てられたくない」という気持ちに振り回されてしまうことがあるんだな、ということを痛いくらいに実感させられた経験だった。
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