キーワードで探す
恋しちゃダメだった。文学青年の彼、最後の舞台。
あかり。
公開日|2022.04.15
更新日|2022.04.15
彼と出会ったのは大学時代でした。
瘦せていて眼鏡をかけた、いかにも文学青年、というのが第一印象です。
決して目立たず、物静かな学生でした。
同じ学部学科。同じ授業。同じ部活。
関わる時間が長くて、自然と会話することが増えていきました。
演劇部で、一緒に音響を担当したこともあります。
打ち合わせでもずっと一緒でした。
部活の休憩中はいろいろな話ができました。
彼はとても物知りで、たくさんの本を読んでいたので、
「〇〇って本読んだことある?」
と聞くと、
「ああ、あれは……あまり、お勧めしませんね」
さらっと感想を教えてくれるのでした。
本当にいろんな本を読んでいる! と私は感心したものです。
彼が演劇部で演出を務めた公演がありました。
もともとおとなしい性格の彼が、勇気を出して立候補したようです。
無事公演も終わって、打ち上げの飲み会の席のことでした。
彼はたまたま私の隣の席。
彼はお酒に弱く、いつもより笑い上戸になっていて、会話は弾みました。
そして、今回の公演についても振り返りました。
「初めての演出で、大変だったよね。お疲れさま」
すると彼は突然、ぽろっと涙をこぼしました。彼の頬をつたう綺麗な涙。
思わずハンカチを差し出していました。
「ああ、ありがとう、ありがとう」
居酒屋の奥の広い座敷で、大所帯の演劇部の喧騒の中、彼の涙を見たのは、きっと私ひとりだったでしょう。
また別の公演では、彼は役者として舞台に立っていました。
演劇部では公演ごとにメンバーを招集するため、忙しい時期だった私はこの公演には参加していません。
作品のストーリーも知らないまま、私はその公演を客席から見ていました。
アクションシーンあり、笑いあり涙ありの楽しい作品。
彼は登場早々に長ゼリフをまくしたてるように喋り、他の役者との掛け合いでは、とぼけたようなコミカルな演技で観客の爆笑をとり、虐げられる場面では1分以上も腹筋を鍛える動きをさせられ続け、剣を使ったアクションシーンも決まっていました。
あんなに細い体で。体力なんてなさそうなのに。
よく練習したなあと思いました。
今まで気軽に喋っていた友達が、一気に成長して遠くへ行ったような気がしました。
感動で胸がいっぱいで、公演が終わってもしばらくそこから動けませんでした。
そしていきなり衝動に突き動かされたのです。
彼を抱きしめてあげたい。
よく頑張ったねって。
今しか、できない。
きっと、もう一生、こんなチャンスは巡ってこない。
周りにいた子に何か聞かれたら、「サッカーの選手がゴールを決めたら、ハグするでしょ? それと一緒」って言うことにしよう。
公演を終えた彼のもとに駆け寄り、
「ハグしてもいい? 1回だけでいいから」
早口で言いました。
「え? ……まあ、じゃあ、どうぞ……」
一生分のハグでした。
せめて彼の匂いをかぎたくて、思い切り息を吸い込みました。
彼はただ、困惑していました。
「ありがとう。お疲れ様」
それだけ言って、会場を離れました。
目的は達成できた。それなのに、どうしてこんなにつらいんだろう。
その日の夜、私は叶えられない恋をしてしまったことに気づいたのです。
なぜなら私には、すでに遠距離恋愛中の彼氏がいたから。
大学3年の、秋でした。
大学を卒業した今でも、思い出します。
彼は今頃、どうしているでしょうか。
もっと読みたい!あなたにおすすめの記事はこちら
ログインをすると利用出来ます
コメントを書く