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あり得ない旦那の姿
yuica
公開日|2022.07.14
更新日|2022.07.14
私達は、長い遠距離恋愛を経て熟年で再婚を果たしたわけですが、入籍を先にして、結婚式は9月にすることとなりました。
そもそも、私も主人もお酒を飲むのが好きなので、居酒屋に行ったり、家で晩酌するようになりました。
ビデオチャットを利用しながら結婚式の打ち合わせも、日本とアメリカ同時に行うことが出来ました。
式の二週間前に主人は一時帰国を済ませました。
コロナ禍で日本の入国は大変でした。
水際対策で入国後、2週間は指定された住所での隔離生活となります。
もちろん入国時のPCR検査が陰性であることが条件での話です。
無事に私たちの家で隔離されていました。
結婚式の前日にタキシードの衣装合わせをして、ついに当日が来ました。
式を無事に終えて、披露宴が始まります。
私も主人も、音楽が大好きで趣味以上にのめりこんでいました。
私は20代後半より、ライブハウスで洋楽を歌っていました。
主人は学生時代からバンドでギターを弾いていました。
結婚式は、ありきたりでなくみんなが楽しく演奏出来たらいいなぁという希望がありましたので、仲の良い福岡のミュージシャンを大勢呼びました。そして、念願の演奏ばかりの披露宴が始まりました。
主人は、自分の演奏で私に歌を歌ってほしいと言っていたので、恥ずかしながら、一緒に演奏することが出来ました。
自分の演奏が終わると主人は高砂の席でお酒を飲み始めました。
私は、自分のバンドでの演奏も控えているのと、来客に挨拶をするなどしていたので、ほとんど高砂の席にいることがありませんでした。
こんな結婚式も珍しいですよね。
おおよそのスケジュールが終わりクライマックスに差し掛かっておりました。
そうです、両親への挨拶が残っていました。私の母は、関東に住んでいたこともあり九州までくるのは、リスクが大きすぎるということでzoomでの参加になっていました。
私が、母へ感謝の気持ちを画面上で伝えると最後は、謝辞です。
二人一緒に高砂で席を立ち、主人が謝辞を言い始めました。
しかし、既に泥酔状態で視点が合いません。「今日は、こんな僕たちのために皆さんお越しいただいてありがとうございます。」ここまでは良かった。その後、「シュレックみたいな嫁さんでしょう」左側にいた私は、小声で「あんた、なにいってんねん」
と主人に聞こえるように言いました、酔っている人は、こういう時、永遠に話そうとするのです。
来客の顔を見ると、早く終わらないかなという様子が伺えたので、隙を狙って、マイクを取り上げました。
すかさず「本日は、本当にありがとうございました」と私が言って最後の退場となりました。
退場するときも、ふらっふらっでした。
私の形相は鬼のようになっていました。
出口の前で二人で来客の皆様に会釈をして扉が閉まったとたん、「あんたね、私の一生に一度の晴れ舞台に、泥塗ってから、一生、許さないから」というと「なんで怒ってんの」と冗談のように連発しながら、人の背中をパシパシ叩き始めました。
怒り沸騰でした。
その後、先に家に帰らせたところ、いびきをがーがーしながら寝ていました。
それを見ているだけでもイライラして、起こしてから話をしました。
そうです。
彼は、謝辞に何を言ったのかも覚えていません。
一連の恥ずかしい行動は一切、覚えていないのです。
翌日、母が電話してきました。
主人は、ビール瓶を片手にラッパ飲みする姿がZoomに映っていたのです。
しょっぱなから、母から怒られていました。
「娘に恥をかかせる気」その時の母は、神様にしか見えませんでした。
それ以降、主人は、私の母を怖がるようになりました。
因みに、結婚式のスケジュールの中にマジックも入っていました。
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