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温泉宿、箱根の晩春
きのコ
公開日|2022.08.04
更新日|2022.08.04
苦しい?
声が降ってくる。
言葉として理解するには酸素が足りない。声というより音。声音。
両手をあてがわれたまま、わずかに頭を縦に動かした。ぐ、と喉が鳴る。
やめたい?
仲間うちでは聞いたことのない、投げ捨てるような低い声。
言いながら裏腹に押し込まれて気管を塞がれ、目の前が白くなる。
髪の毛を掴まれたまま、やっと頭を左右に小さく振る。えぅ、と声が漏れて、唇からあごをつたってシーツへ、しずくが糸を引いた。
薄いカーテン越しに、晩春の朝日が後ろから、彼の髪の毛を金茶色に縁取っている。ややアシンメトリにカットされた前髪。黒いセルフレームの奥の、石ころを見るような眼差し。薄く開いた唇からわずかに覗く歯。笑っているのだ、と思った瞬間、また喉の奥まで突き込まれた。
吐き気がこみ上げて全身に鳥肌が立つ。肩が跳ねて、腰の後ろで両手首に巻かれているエナメルのベルトがいっそう食い込んだ。
無理にこらえたが、涙で視界が歪んだ。思わずきつく瞼を閉じる。
じゃ、
とかすれた声で、しかし歌うように彼が言う。
全部飲めよ? もしこぼしたら、…
反射的に見上げてしまう。彼の視線が、うずくまっている私を押さえつけた。
こんな時はいつも、彼の視線は私の目から入り込み、頭蓋を貫き、脳髄を焼く。背筋をつたって上から、彼の視線に、縛られて身動きできなくなる。
唇から歯を覗かせたまま、彼が動き始めた。
私の頭を両手で固定して、繰り返し喉に押し込んでは引き戻す。
背後で両手の指を鉤型に曲げ、くぐもった声で私は絶叫する。時折完全に気管を塞がれ、悲鳴すら出せなくなる。吐き気に耐えること、歯を立てないこと、それ以外何も考えられない。目から鼻から口から、透明なそれぞれの体液が流れ出ては、彼の足の間のシーツに染みをつくる。
目の前が白くなり、暗くなり、頭蓋の中が、自分の唇や喉が立てる濡れた摩擦音だけでいっぱいになり、髪を掴まれている痛みも遠のきかけた時、
…飲め
呟くように吐き捨てるのと同時に、彼がひときわ深く突き入れた。
ぬるい、圧力をもった粘液が断続的にほとばしる。
吐き出すことはもちろん、口の中に受け止めることもできず、舌の根より奥に直接たたき込まれたそれを嚥下反射のまま飲み下すことしかできない。
永遠のような数瞬が過ぎる。
やがて、彼が緩慢な動作で私の頭から手を離し、引き抜いた。
だらりと垂れた私の舌先と彼の先端を、ゆるやかな弧を描いた白い糸がつないで、切れた。
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