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有限の恋愛「いつか再び会う日まで」
名無しのカカシ 男性
公開日|2022.11.27
更新日|2022.11.27
私がまだ20代半ば、約20年も前の遠い過去の話となります。
当時私が務める夜間飲食店(ダンスホールがあり音が流れる大型ナイトクラブ)に友人と遊びに来ていた一人の女性と知り合い、その日のうちに意気投合。
度々食事や遊びに出かける仲となりましたお。
最初に見かけた瞬間から私の一目惚れでした。
それから数ヶ月後、秋も深まる10月の終わりの私の誕生日を祝ってくれた帰り道に意を決して「付き合って欲しい」と告白。
彼女の答えはNOでした。
彼女は当時高校3年でしたが、卒業後の進路として沖縄の短大への進学が決まっていることをその時初めて聞きました。
その話を聞いた瞬間、私は振られたショック以上に数ヶ月後には彼女が遥か遠い沖縄へ旅立ってしまうことにショックを受けました。
少しの沈黙の時間が流れた後、私は、であればこんな事している場合じゃないんじゃないかという思いで彼女にもう一度「だったら卒業までの時間をくれないか?」と頼みました。
そして、「一晩考えさせて欲しい」という彼女の言葉の翌日、私たちは「半年限定」の交際がスタートしたのです。
期間が限られた交際なんて私は過去にもその後も一切ありません。
また、あれだけ時間の大切さを感じたこともありませんでした。
有限という時の中で私たちは可能な限り共にし、そして12月を迎え、クリスマスを過ごし、年が明け、期限という制約を見ないふりをしながら一生懸命に恋愛し沢山の思い出を2人で作り上げてきました。
無常にも時は流れ、やがてその期限が近づくある日、私は言いました。
「遠距離を頑張ってみないか?」
その瞬間、今までの必死に我慢していた彼女の目からは大粒の涙で溢れ頷く姿に、私は嬉しさよりもまだ10代の女の子に対してあの時非常な選択をさせていた事に改めて気付いた事を今でも忘れません。
それから卒業式も終わり彼女は沖縄に旅立ち2人の第2章とも言うべき2年間の遠距離がスタート。
入学後直ぐのG.Wには私が沖縄に訪れ、夏休みには彼女が東京に戻り順調に交際を重ねている矢先、彼女の妊娠が発覚しました。
私個人としては結婚し家庭を持つことには何の不満もありません。
ただ彼女はまだ学生生活を始めたばかり。
入学金や学費・日々の生活費などもご両親から受けている立場でした。
それでも彼女としては大学は退学し何としても子供を産んで育てて行きたいの一点張り。
私の考えや想いは伝えましたがその上で彼女の意見を尊重することと決め、最終的には彼女のご両親への挨拶に行った際の見解含めての判断としました。
そして、当然ではありますが私の見解と同じくご両親からは猛反対。
数日の期間を空いた後に一つの提案がありました。
「親の反対を押し切ってまで自分の道を進んだ責任として短大だけは卒業してもらう。今回の件は諦めること。ただ、卒業後は2人の判断に任せる」とのことでした。
最初はかなり抵抗のあった彼女もその提案を受け入れ、卒業後直ぐに訪れる彼女の誕生日に籍を入れる約束をし夏休みが終了すると同時に沖縄へと戻って行きました。
それからも私の有給や彼女の休み期間を利用してお互い行き来し2人の交際は順調に続いて行きました。
やがて春と共に彼女は進級し、更に2度目の夏休みには双方の両親とも挨拶が進み、秋がまた深まるちょうど2年前に告白し交際がスタートした私の誕生日を迎える4日前に彼女のお父様から突然の連絡がありました。交通事故との事でした。
あれから約20年、時間の経過と共に彼女の顔も声も今はもう思い出せません。それ位の時間が流れました。
ただ、今回ここに書いている通り、今でもあの当時の記憶は未だ私の心の中の奥深くで鮮明に残ってます。
昨年は彼女の17回忌がありました。彼女のご両親も高齢となり、今回で一区切りと仰ってました。
今でも、聞きたいこと・話したいこと、沢山あるんです。
それでも私は彼女に教わった「時間の大切さ」をしっかりと胸に、いつの日かまた彼女と会える日まで生きて行きます。
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