Gah

Gah!は英語で「最悪だよもう！」と言うニュアンスを持つ。まさに私の心境もGah!だった。

その日の昼、夜に待ち合わせる時間を打ち合わせた後、康弘から「来月は花見に行かない？まゆの家から10分くらい走ったところにとっておきの花見場所があるんだ」と言われた。また多分弁当を作らされるんだろう、それは少々面倒なもののお誘い自体は嬉しいので「わかった、楽しみにしているね」と返す。その夜は会社帰りの康弘の車に乗り、いつものようにホテルに行って激しく抱き合った。一回終えると、やすは必ず離れず隣に寝そべり私を抱き抱える。しばし他愛ない話をしていたが、ふいに彼の口から

「あ、この前久しぶりに女房ともしたんだけど」

というピロートークには一番最悪な話題が出され、つい呆れてしまった。彼は優しい、優しいが女性の気持ちが分からずあまりに無神経。年齢の割に結婚が遅かったのもそのせいもあるのかも。私が小さく笑った後「…したんだけど、何？」と少々小馬鹿にしたような声で返すと、やっと自分が相手の気分を害す話題を出したのだと気付いたようで「いや、本当に久しぶりで」「女房だといかないんだ」としどろもどろ。黙って聞いていた私の表情は、今までに彼に見せた事が無いくらい無表情だったと思う。

私は彼を批判出来る立場に無い、私が同時進行でセックスをしているのは伴侶ではなく元彼だから、私の方が重罪だ。だが私はやすのようにわざわざ言う程馬鹿じゃない。彼は逆に伴侶が相手なのだから別に言っても構わないと思ったのだろうが、それこそ何の必要があってわざわざ言ったのか意味が分からない。隣にいる男はさっきまで愛しくて仕方なかったが、一瞬で配慮の無い無神経野郎に変わってしまった(笑)した事を咎めているのではなく、した事を平気で言える神経に呆れたのだ。

あーあ、やっぱり半年しか続かなかったか。そう思いながらシャワーに行こうと半身を起こすと、やすに腕を掴まれキスされた。今までなら何度キスされても嬉しかったが、今は冷めきっていて何も感じない。キスも愛撫にも反応はいつもよりかなり薄かったが、それでもやすは上に乗り二回目の射精をした。もはや鬱陶しいとさえ感じるやすの腕を払うように起きシャワーに行き帰ると「ごめん、俺隠すとか苦手で」と言ってきた。時間はまだ一時間と少ししか経過していなかったが「帰ろう、シャワー行ってきて」と促した。黙ってシャワーを終え身支度していたが、やがて「ごめん」とやすが言う。「何も悪くないよ」と笑顔で返したが、ホテルを出て駐車場に行くまでの道はいつもあちらから手を握って来るのが分かっていたから、わざと出来ないよう真後ろを少し離れて歩いた。手を取ろうとするが空を切り、後ろを見ると私がわざと握らせない距離にいるのが分かったようで気まずそうに小さく笑う。

代わりに車に乗ったらすぐに手を取られ、それまで振り払うのは失礼過ぎるので黙っていた。ただ握り返さず。いつも降りる駐車場に車が止まるとキスされたが、それも拒否しなかった。最後かも知れないから。唇を離された後「私は、相手が自分にとって必要か否かで測る所がある。だから女房とやってるなら『なら自分がいる必要は無い』そう判断してしまうの」私が言い終えると即座にあちらから「必要だよ」と返るが、私は「次付き合う人には言わない事だよ、気分が良いわけないんだから」そう言い車を降りた。「次って」と言う彼の声を最後まで聞かずにドアを無言で閉め歩き出す。並走して窓を開けまだ何か言いたげだったが、後続車が来たのでやむなく彼が走り去った。

帰宅して15分もすると「今日はごめん、俺はこういうところで色んな人間から嫌われるんだよ」というメッセージが。まさか「そうかもね」と返すわけにもいかず「あなたは優しいよ、私の心が狭いだけ」とだけ返した。私は別れを告げたが、やすからははっきり返らない。だとしても私が終わり、と言えば終わり。それきり返信も返らなかったのであちらも了承したのだと思い、貰った指輪を外した。捨てる気にはまだなれないので引き出しに仕舞い、ため息をつく。本当に大好きだった。だからこそ無神経な発言が許せなかった。わざわざ言う必要の無い事を言う彼の全てが嫌になり別れを切り出したが、しばらくすると好きという気持ちも復活する。

こんな気持ちは、四十も近い歳で味わうものじゃない。もっと若い時なら傷ももう少し早く癒えるだろうに。苦しいまま一緒に行ったドライブで見た景色や抱かれている時の彼の腕など次々思い出され、眠れないまま朝になる。翌日、目ざとい同僚が「あれ、指輪は？」と私の手を指した。「不倫相手がむかついたから別れた。ついでに指輪も外したけど捨てられなかった」そうはっきり言えたら楽だけど言えるはずもなく、野菜ジュースを啜りながら「洗面所で外したまま忘れた」と答えた。いつもなら朝出勤前、昼休み、夕方、帰宅後には必ずメッセージが来ていたが、当然やすからのメッセージは来ない。やりとりが出来ない事がこんなに辛い、寂しいと感じるとは。けど自分から別れたのだから仕方ない。きっと1ヶ月は苦しい、でも2ヶ月、3ヶ月経過すれば薄れるはず。どんなに苦しくても自分から別れたのだから我慢しなきゃ。

帰宅し何もしたくないので、着替えもしないまま自室のベッドに倒れ込む。やすの居ない世界がこんなにつまらないなんて思わなかった。それほどまでに、彼は私に無くてはならない人になっていたんだ。今頃気付いてももう遅い。後悔に涙が出たが、私からは復縁は絶対に望まない。どんなに辛くても我慢しきる。私はそこがプライドが高いのだと思う。泣くだけ泣いたらすっきりして鼻をかんだ。ぐずぐずする鼻に不快感を覚えながら起き上がると、真っ暗な部屋の中スマホが光る。

「まゆにもっと嫌われるのを覚悟で送ってる、毎日会えない時にメッセージで会話するのが本当に楽しくて励みになってた。今日も来るはずないのに、何回携帯確認したか分からない。明日も明後日もまゆが居ないのは耐えられない。本当にごめん。」

その文面を何度も読み返す、でもなかなか返信が出来ない。またよりを戻しても無神経な発言に嫌な気持ちにさせられるかも。でもやっぱり好き、でも…。しばしぐるぐると思い巡った末

一緒に桜、見たい

と、やっと返す。そこから何回かメッセージをやりとりし結局元の鞘に。

不倫など、気持ちが伴う付き合いなど絶対にすべきじゃない。マッチングアプリで会って寝ても一度だけ、好きにならない体の発散のみの為にしている人は利口だ。好きになったらただ辛いだけ。それは痛い程分かっているが、反面気持ちが伴う付き合いがこの上もなく楽しく日々の活力になるのも事実。結局私はそちらに嵌まってしまう。色々考え視線をスマホから外し、また戻すとメッセージ通知が来た。今度はダイキから。スマホを握ったまま私は笑う、やすが無神経に今も女房を抱いていると言うなら、私もダイキに抱かれ続ける事に罪悪感は持つまい。但し私は自ら言う程馬鹿じゃないが。そう思うと、先日の一回きりで終わりにしようとしたダイキに「来週？空けられるよ」と返信した。